2016年01月16日03:29
静岡EASTMAX SCの前身は、三島女子ソフトボールクラブです!
カテゴリー
机の引き出しを整理していたら懐かしいチラシが出て来ました。
娘が入団する前年の2003年7月の物です。
娘や木更津の左腕エースの入団が翌年の2004年1月でしたから写真の6年生も入団の際にいました。懐かしい面々です。本当によく可愛がって貰いました。
現在は、上が24歳から下は、22歳になっています。沢地ジュニアの監督さんの娘さんや木更津左腕のお姉ちゃんも後列に居ます。
娘の入団と同時にコーチとして手伝いましたのでよく覚えています。
この11名は、6年生と5年生と4年生です。中学高校と続けた選手が多くて少なくとも三島北高4名、飛龍3名がソフトボールを続けました。
チラシに載っているように当時の活動は、毎週の日曜日の午後と第2、第4の土曜日の午前中のみでナイター練習は、ありませんでした。
2004年からコーチを4年間務めて2007年から監督になりました。都合13年目になります。長いような短いような不思議な感覚です。
この三島女子ソフトが無かったらMAXもありません。2004年は、普通に試合が出来ましたが、2005年は、2年生軍団が主体で秋の新人戦まで約一年間基本練習に明け暮れて対外試合を自粛した時代もありました。
この写真の6年生達が3期生か4期生と伺っていますから少なくともMAXも16年か17年間の歴史がある事になります。
当初は、三島クラブという育成会の男子チームの選抜チームが発端で全国大会に出場を重ねましたが時代の先取りで他地域からクレームが入り解散し其々の単独チームのみの活動になり、反対に男子チームで当時出る機会の少ない女子を集めて三島女子としたのが始まりと伺っています。
三島育成会のベテラン監督さん達のお陰で弱小時代から今まで同じように大切にして頂いている三島唯一の女子チームが三島女子であり、現在のMAXです。
初代の監督さんの苦労と努力は、並々ならぬものがあった事と思います。部員不足でSBS大会にバスケット部の選手を借りて出場したこともありました。
継続が一番難しい事です。二代目の監督さんからチームを預かる際に「どんな事があってもMAXを潰さないで下さい!それだけを約束して欲しい。」と言われたことを思い出します。
2009年春の全国制覇、夏の準優勝の後、部員は僅か3名の大ピンチがありました。あれから7年間どうにか活動しています。6年生が卒団すると11名になります。
本当にピンチになる前に団員を増やさなければなりません。現在は、体験や入部の近い選手が数名いますが一日でも早く秋の新人戦の9名以上を確保しなければなりません。急務である。
ОGが帰省して来て気軽に寄れるチームを守らなければなりません。
MAXは、東部の灯を消すわけには、いかないのです。
娘が入団する前年の2003年7月の物です。
娘や木更津の左腕エースの入団が翌年の2004年1月でしたから写真の6年生も入団の際にいました。懐かしい面々です。本当によく可愛がって貰いました。
現在は、上が24歳から下は、22歳になっています。沢地ジュニアの監督さんの娘さんや木更津左腕のお姉ちゃんも後列に居ます。
娘の入団と同時にコーチとして手伝いましたのでよく覚えています。
この11名は、6年生と5年生と4年生です。中学高校と続けた選手が多くて少なくとも三島北高4名、飛龍3名がソフトボールを続けました。
チラシに載っているように当時の活動は、毎週の日曜日の午後と第2、第4の土曜日の午前中のみでナイター練習は、ありませんでした。
2004年からコーチを4年間務めて2007年から監督になりました。都合13年目になります。長いような短いような不思議な感覚です。
この三島女子ソフトが無かったらMAXもありません。2004年は、普通に試合が出来ましたが、2005年は、2年生軍団が主体で秋の新人戦まで約一年間基本練習に明け暮れて対外試合を自粛した時代もありました。
この写真の6年生達が3期生か4期生と伺っていますから少なくともMAXも16年か17年間の歴史がある事になります。
当初は、三島クラブという育成会の男子チームの選抜チームが発端で全国大会に出場を重ねましたが時代の先取りで他地域からクレームが入り解散し其々の単独チームのみの活動になり、反対に男子チームで当時出る機会の少ない女子を集めて三島女子としたのが始まりと伺っています。
三島育成会のベテラン監督さん達のお陰で弱小時代から今まで同じように大切にして頂いている三島唯一の女子チームが三島女子であり、現在のMAXです。
初代の監督さんの苦労と努力は、並々ならぬものがあった事と思います。部員不足でSBS大会にバスケット部の選手を借りて出場したこともありました。
継続が一番難しい事です。二代目の監督さんからチームを預かる際に「どんな事があってもMAXを潰さないで下さい!それだけを約束して欲しい。」と言われたことを思い出します。
2009年春の全国制覇、夏の準優勝の後、部員は僅か3名の大ピンチがありました。あれから7年間どうにか活動しています。6年生が卒団すると11名になります。
本当にピンチになる前に団員を増やさなければなりません。現在は、体験や入部の近い選手が数名いますが一日でも早く秋の新人戦の9名以上を確保しなければなりません。急務である。
ОGが帰省して来て気軽に寄れるチームを守らなければなりません。
MAXは、東部の灯を消すわけには、いかないのです。