若過ぎます…。悔しいです。

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大会中に入った訃報。

53歳…。

MAXの唯一の日本一になった際のキャプテンのお父さんが亡くなりました。

寡黙で静かな男でしたが、優しくて私が指導に迷っている時期に元気を出させるために酒席を設けてくれて励ましてくれた事を昨日のことのように思い出します。

いい男でした…。

早すぎます…。

悔しいです。

もう一回でいいから話しながら飲みたかったなぁ…。

娘達の成長を見守りたかっただろうに…。

空の上から見守っていて下さいね。
若過ぎます…。悔しいです。


若過ぎます…。悔しいです。

現役時代は、東海第一の杉本兄弟として、センバツ大会ベスト4、夏の甲子園でも大活躍の尚彦さん。大変有名な好投手でした。

体も大きくて、子供たちには、優しく接してくれる素晴らしい父親でした。練習にも率先して、ボール上げ、ガッチャンコと奮闘して下さいました。

昨日、娘と弔問して来ましたが、生前と変わらず眠っているようでした。

子供たち、奥様は、気丈に振る舞ってくれました。
小さな時からの付き合いだから娘のことのように思えてなりません。我慢しすぎないように泣きたい時は、思いっ切り泣いて、そこから頑張ろう。お父さんは、必ず空から見てるぞ!と伝えて来ました。

3月29日 18時 お通夜 三島聖苑

3月30日 10時 告別式 三島聖苑

以上です。

合掌






 
この記事へのコメント
なぜ?亡くなられたのですか? 当時の東海一は、久々の大型チームで春ベスト4夏にも甲子園上位を期待できるチームでした。
Posted by ファン at 2019年05月14日 21:50
病です。
病名は、癌と伺ってます。
家族から本当に治療に頑張りましたが、完治出来ず
…。という事でした。
Posted by MAX 30番MAX 30番 at 2019年05月15日 09:20
突然、恐れ入ります。
本日、テレビ朝日の「高校野球総選挙」でかつての甲子園のヒーローが
次々と登場してきたのを見て、当時、静岡県民の自分がワクワクしながら
応援した杉本尚彦投手のことを思い出し、その名を検索したところ
このブログに出会い、まさかの訃報に接し驚いています。
キラ星のようなスター選手が沢山いた当時の高校野球の中で
杉本投手は感情をあまり出さず常に落ち着いていながらすごい球を投げる、地味だけどめちゃくちゃカッコいい存在でした。
1983年夏の甲子園3回戦でのPL学園戦は今も忘れられません。
肘痛で途中から登板しましたがそこからはあのPL打線をきっちり0点に
抑えた杉本投手。たらればを言っても仕方ありませんが、もし肘痛がなく
先発していたらPL打線を抑えて、早々に桑田投手を引っ張り出し
歴史に残る白熱した試合になっていたと思います。
私は野球の素人ですがプロでも十分に活躍できる素質のある選手だったと
思ってます。
スポーツ記事の写真にあった杉本さんのお顔、当時の面影をしっかり
残していますね。大人になっても寡黙で優しいイメージ通りの方だったんですね。ご冥福をお祈りいたします。
情報をありがとうございました。
Posted by 昭和47年生まれ at 2019年08月10日 22:54
杉本さんは、寡黙で優しいお父さんになられて、肘痛の通院が縁で綺麗な看護師の奥様(因みに奥様は、元オリンピック強化選手)と出会い、二人の娘さんに恵まれ真面目に過ごしていました。
娘さんも看護師さんを目指しています。
出来る事ならもう一度逢いたいものです。
コメントありがとうございます。
Posted by MAX 30番MAX 30番 at 2019年08月17日 18:40
杉本さんが亡くなられて、もう5年位ですか・・・。ふと、このブログを観ました。WBCの大谷翔平選手が、世界中から賞賛されている日々の中で・・・甲子園を
想い出しました。あの時は私はまだ、中学生だったと記憶しております。
尚彦選手が、肘の痛みに耐えて鍼治療をしながら出場してPL学園に全く打たせなかった・・・あの当時のPL学園はスターだらけでした。
あの試合は凄く印象に、残っております。尚彦さん凄い投手だと思いました。

癌だったのですね。それでも、娘さん2人に恵まれて、良い人生だったでしょう。
甲子園に行ける夢を果たして、キラキラしている青春時代を送ったお父さま。

娘さんが是非、素晴らしいナイチンゲールになっておりますように。
Posted by あの時東海第一は勝っていたはず at 2023年03月23日 18:10
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